小学校の修学旅行で行った、
長崎原爆記念館は衝撃的だった。
家に帰ってから何度も吐いた。
車酔いのせいなのか、
衝撃のせいなのか分からなかったが、
布団に潜り込み、
ただひたすら眠った。
この時だけは、
原水爆反対を叫ぶ親父を尊敬した。
オッペンハイマーの映画を見た。
技術者としての探究心と、
人としての道徳心の両方が、
何の矛盾も無く、
僕の中で共存している。
もし兵器開発の依頼が有ったら、
全力で取組んでいたかも知れない。
平和な日本で良かった...。
バスガイドさんの、
「長崎の鐘」は、
11時2分で止まった柱時計の音と供に、
僕の耳の中に住み着いた。
今は、
「召されて妻は天国へ...」
の詞が怖くて、
口ずさむ事すら出来ない。
§当時の記憶のまま、
長崎原爆記念館と書いてしまいましたが、
記念と云う言葉が不適切と云う事で問題
になった事を思い出しました。
今は長崎原爆資料館と云うんですね。
申し訳有りませんでした。
原文は自分の戒めとするため、このまま
にさせて下さい。ご容赦願います。