もうすぐ日本に原爆が投下された8月6日と8月9日が
やって来る。先の70.長崎の鐘で、長崎原爆資料館
(記念館)での体験を衝撃的と書いた。
正確には衝撃と言うより怒りだった。
展示室に入って最初に目に飛び込んで来たのは大きな
ビンに入れられた数個の玉ネギだった。
展示された理由は、説明文を読まなくても想像が付い
たが、原爆で亡くなられた方を、玉ネギと同列で語ろ
うとする無神経さに腹が立った。
ほとんどの人が一瞥(いちべつ)するだけで、立ち止ま
る事も無く通り過ぎた。
僕が異常なのか不安になり、2~3回戻って見直した。
見る度に、被爆された方々の苦悩の表情が玉ネギに浮
かんで来た。
何かの液体に浸けられ蓋までされた姿は、今も地獄が
続いている様にしか見えなかった。
醜悪な展示物だった。
他の資料を読む気にもなれず、フラフラと進んで行く
と壁の高い位置に柱時計が展示されていた。
11時2分で止まっている事意外、それほど痛んでもい
ない時計は何も語ってはくれなかった。
呆然と眺めていると、同じ様な時計は他にも沢山有っ
たはずなのに、なんでこの時計なの?
多くの時計が数分は遅れたり進んだりしていたはずな
のに、なんでこの時計だけが正確に11時2分を指して
いるの?
と不謹慎な疑問しか湧いて来なかった。
玉ネギと時計への怒りは、誰かに話しても馬鹿にされ
るだけだろうと飲み込んだ。
行き場の無い怒りを静めようと、バスガイドさんの長
崎の鐘を憶える事だけに集中した。
帰って来て、バスから降りても、級友達のハシャグ声
は遠くの方に聞こえ、景色は白黒のモノトーンだった。
家に帰って、さんざん吐いた後、婆ちゃんに敷いて貰
った布団にイモ虫の様に丸まって眠った。
僕の中に、次の日以降の絵が全く残っていない。
絵を描く事を誰かが止めてくれた気がする。
でも、止まった柱時計の歯車はコチコチと今も鳴って
いる。
最後は、原爆で亡くなった方々の御冥福を祈ると締め
括るべきだろうが、
自分が死んだ事さえ分からないまま亡くなった方々、
自分が何故死ななければならなかったのかさえ分から
ないまま亡くなった方々の御冥福をどう祈れば良いの
か分からない。
口先だけの言葉で締め括りたくない。
トランプさん、あなたは正気ですか?
広島を例として使いたくない。長崎を例として使いた
くない。しかし本質的には同じだ。戦争を終わらせた。
広島や長崎をみれば、あれが戦争を終わらせたことが
わかる。